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弔辞~中日ドラゴンズ星野仙一投手へ

画像:足成

新年最初のコラムで、まさか貴方へのお別れの言葉を述べることになるとは想像もしていませんでした。

星野仙一さん。1969年(昭和44年)中日ドラゴンズ入団の時からすっと見守ってきたドラゴンズファンとして、思いを語らせていただきます。

ドラゴンズファンとして星野投手が大好きでした。エースナンバー背番号「20」を背にマウンドで躍動する姿にいつも興奮しました。

何より讀賣ジャイアンツに強かった。生涯146勝の内、巨人からの35勝は見事です。

そして、そのジャイアンツの10連覇を阻止して、ドラゴンズが20年ぶりのセントラルリーグ優勝を決めた瞬間のマウンドには、貴方が仁王立ちしていました。1974年(昭和49年)10月12日のことです。

私にとってこの優勝以上に嬉しい優勝はその後もなく、今後もないと思います。

その前夜の神宮球場、土壇場で同点に追いつき優勝マジックを2としたマウンドにも貴方がいました。鬼気迫る投球に私は翌日の優勝を確信しました。

私が最も好きな貴方のマウンドは、1978年(昭和53年)8月10日ナゴヤ球場。相手はやはり讀賣ジャイアンツでした。私の日記にはこのゲームのことが詳細に記されています。

4-3の1点差リードで迎えた7回表、無死2、3塁というピンチでリリーフに立った貴方はその回を抑える。

そして1点差のまま迎えた運命の9回表。今度は一死満塁でバッターボックスには四番の王貞治選手。外野フライで同点、ヒットなら逆転という絶体絶命の大ピンチでした。

結果はセカンドゴロでダブルプレイ。高木守道二塁手の軽やかな守備での併殺、そして貴方のガッツポーズ。今でも鮮明に目に焼きついています。

ゲームの後、球審が語った言葉に震えました……「星野投手の球そのものに気合いが入り、何とも言い表せない勢いが加わった。最後の一球は真っ直ぐ来たのに、王が打とうとした瞬間になぜか球が不意に小さく変化した」

当時の王選手が二塁に併殺ゴロを打つことはほとんどありませんでした。

「気合いによって直球が微妙に変化する」……まさに“燃える男”星野仙一の渾身の一球でした。

私の日記はこう締めくくられていました「星野はすばらしい男だ。すばらしく燃える男だ。星野と稲尾(和久)コーチの握手の強く長かったこと! この夏もこれで悔いなし!」

ドラゴンズファンとして星野監督が大好きでした。最高の戦略家でもあり演出家でもありました。

2年連続三冠王の落合博満選手を1対4の大型トレードで獲得、度肝を抜かれました。

新監督として初めて臨んだドラフト会議で、5球団による抽選に勝ち見事に近藤真市(当時)投手を引き当てたガッツポーズ。貴方はその近藤投手を高卒ルーキーだった夏にジャイアンツ戦に初登板初先発させて、伝説のノーヒットノーランを実現させました。

次のドラフト会議では立浪和義内野手をこれも抽選で勝ち取り、翌年の開幕戦でスタメン起用しました。そしてその年の昭和最後の優勝。

再び監督に復帰した時は、川上憲伸、福留孝介、そして岩瀬仁紀という名選手をドラフト逆指名で続々と獲得し、ドラゴンズを「入団したい球団」としてイメージアップさせると共に、1999年(平成11年)には開幕11連勝という史上タイ記録によって、またもペナントを勝ち取りました。

神宮球場で胴上げがあった9月30日の夜、祝勝会会場のプールに参謀・山田久志コーチと飛び込んでずぶ濡れになった貴方の笑顔、最高でした。

それだけに……2001年秋はショックでした。

10月2日ナゴヤドーム最終戦で「私ほどドラゴンズファンに愛された男はいない」とファンに別れを告げた貴方は、その直後に阪神タイガースの監督に就任しました。

ドラゴンズ監督辞任が健康面での理由と言われていただけに、信じられない気持ちでした。ショックでした。

辞任直後のタイガース監督就任については、様々な事情や理由も聞きました。しかし、ドラゴンズファンとして納得しきれませんでした。

これほど愛して好きだった「星野投手」「星野監督」とは訣別するしかないと思いました。

2年後の2003年、縦縞のユニホームを着た貴方の胴上げ。せめて1年だけでも間を空けてくれていたら、せめて行き先がパ・リーグのチームだったら、と口惜しい思いでした。

気持ちの整理をするには長い歳月が必要でした。2013年に東北楽天イーグルスを日本一にして震災の傷癒えぬ被災地を元気づけた姿には心からの敬意を表しました。拍手を贈りました。

あの讀賣ジャイアンツを倒しての日本一、貴方にとっても最高の舞台だったことでしょう。

それでも……そんな複雑な揺らぎも今回の訃報に接しすべて忘れます。今はただ「星野投手」「星野監督」が再びドラゴンズファンの元に帰って来てくれた思いです。

星野仙一さん。

貴方が逝った2018年正月、最も似合ったドラゴンズのエースナンバー「20」は誰も背負っていない空き番号です。

どうかそのユニホームに身を包んで、ドラゴンズブルーの空に昇って行って下さい。

そして“燃える男”の後継者にふさわしい投手がドラゴンズに現れたと思ったら、背番号「20」を再びナゴヤドームにお返し下さい。

竜の夢をありがとうございました。

【東西南北論説風(24)  by CBCテレビ論説室長・北辻利寿】

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※足成