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ますおか岡田と雨上がり宮迫と本屋で疾走する子供

画像:CBCテレビ『本能Z』

【コラム:ナゴヤ東新町 一五一会】

私は読書が嫌いだが、本屋が好きだ。

読書、この2文字は私の脳内で自動的に“感想文”という3文字が足され、子供の頃、夏休みにその楽しさを奪い続けてきた忌まわしき存在の5分の2を構成する文字列として、敵視対象である。

一方の本屋は、自分には想像もつかなかった虚構や、心揺さぶられる実録に接するパワースポットだ。また、絵本や参考書、話題の本から月刊『ムー』に至るまで、特に目に留まりやすいように陳列されている書棚には、必ずその日の社会が投影されている。

店内をさらっと1周するだけで、今何が人々を惹きつけていて、社会の不安はどんな点にあるのか、シャワーのようにその答えを浴びることが出来る。私にとって本屋はそんな場所だ。でも、本を読むのは嫌い。人間は複雑である。

「ダダダダダ~ッ」

ある日、本の間を回遊していたところ、就学前とみられる短パン姿の男の子が、モナコグランプリで狭い市街地コースを疾走するF1車のように、静かな店内を走り抜けていった。すると、

「静かにして!怒られちゃうでしょ!」

と、その母親らしき人の叱責が店内にこだました。得てしてこのような時は、親の方がうるさい。そして、その叱り方は何か違うような気がした。

画像:CBCテレビ『本能Z』

11日(水)深夜に、名古屋のCBCテレビで放送されていた『本能Z』。そこには、ますだおかだの岡田さんと、雨上がり決死隊の宮迫さんが並んで座っていた。

かたや長年の夫婦間の問題で別居中、かたや不倫疑惑を報じられるも同居中。今、世間の注目を集める後輩芸人二人のそろい踏みに、“ゴシップ兄弟”を自任する今田さんと東野さんはたいそうお喜びであった。

兄弟とお二人のやり取りを見ていると、事の様として深刻なのは別居に至っている岡田さんの方かとは思うのだが、より攻撃的にいじられているのは正確には疑惑にもかかわらず、やはり宮迫さんの方だった。

そのスタンスは宮迫さんの仕事仲間である芸人の皆様も、ネット上で物申していらっしゃる皆様も、また各テレビ番組での扱いも同様なようで、芸人さんのプライベートという同じ範疇の話でも“悪質性”が疑われる方によりフォーカスし、ほじれるだけほじり、叩けるだけ叩くというのが日常の光景となっている。

今回の番組ではむしろ宮迫さんご本人が、岡田さんの別居報道と関連付けられて、不倫報道が蒸し返されてしまう“もらい事故”を恐れ、まだ癒えていない傷口が広がってしまうことを自ら懸念されるという自虐的な一幕もあった。

聖人君子のように生きていない私が申し上げるのも恐縮なのだが、このところ続いている不倫疑惑報道を見ていると、当事者が負うべき自分の行動の結果責任の中に、肥大化した当事者でない人によるバッシングの影響が我が物顔で紛れ込んでいる気がしてならない。

逆の言い方をすると「叩かれるような行動は慎むべし」的な考え方である。

今やその中心的な舞台とも言えるネット。各種法令や公序良俗に反しなければ基本何でもOKであり、それが最大の長所だと私は考えていて、叩きも煽りも大いにアリだと思っている。

画像:CBCテレビ『本能Z』

その一方で、世間から非難された方々が、ネットなどの自由な反応にリアクションしてしまって、自らの手で事態をさらに大事にさせているのをしばしばお見掛けする。その度に、彼らが気にすべきは事後の世間の評判などではなく、事前に自身の行動が、それこそ各種法令や公序良俗に反していないかを考えることだけでいいはずなのに、と残念に思う。

平たく言えば、他人の声を気にする前に、自分の身の処し方を気にした方がいいということだ。

ちなみに、冒頭に登場した本屋で走り回っていた子供はすぐに大人しくなり、母親も叱責の効果に安堵した様子だった。

だが数十分後、同じショッピングモールにある大変騒がしいフードコートで再び見かけたその子供は、同い年くらいの仲間たちとともに、他のお客さんで混雑するテーブルの間を走り回っていた。母親はというと、喧噪の中、ママ友たちとの歓談に興じている様子である。

確かにここなら、誰からも怒られないだろうなと思った。

文/平岡敏治(ウェブ・ソーシャルメディアプランナー/ライター)

 

【画像】

※ CBCテレビ『本能Z』